生涯一書痴! 病高じて古本屋の店主になってしまった、ぺんぺんの読書日記です。書評ってほど偉そうなものではないですが(汗)読んで楽しかった本、いろいろ考えた本を紹介したいです
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まだ、現実から、薄い空気の膜一枚、隔てたところに
いるような気がする。

空気さなぎの中にいるみたいな。

丸一日、「1Q84」の世界にいたら、
現実に、なかなか戻ってこられなかった。

まだ、出版されたばかりで、
読了されてない方も多いだろうから、
内容については、深くは触れずにおこうと思う。
なるべく、ネタバレにならないように、
上手く書けるかは、少し自信がないんだけど(汗)

刊行まで、何の宣伝も情報もなかったのは、
先入観や予備知識なしに、
ただ、物語の世界で、それぞれが
自分だけの「1Q84」を生きてほしいってことだと思うから。
あたしも、できるかぎり、それを損ねないようにはしたい。

そして、一応、断っておくと、
便宜上、書評、ブックレヴューという名前はついているけど、
これは、あくまでもあたしの個人的な感想文だからね。

さて。
この物語の主人公は、
筋肉とマーシャル・アーツを専門とする、
ちょっと変わったトレーナーのような仕事をしている「青豆」さん(女性)と、
予備校の数学講師をしながら、
小説を書いている「天吾」くん(男性)。

青豆さんは、時折、老婦人から依頼される彼女にしかできない「副業のようなもの」から、
天吾くんは、知り合いの編集者に持ちかけられた、新人賞の応募原稿のリライトの話から、
それぞれに別の道を経て、
同じ場所にたどり着く。
真実という惑星の周りをめぐる二つの衛星。
微妙な軌道の違いの問題で、お互いに、その存在を知ることはない。
けれど、それは確かにそこにあるのだ。
空に浮かぶ、大きな黄色い月小さな緑の月のように。

各章で、二人の物語が交互に語られる。

構成としては、
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」
に近いかな。

最初、関連性の見つけられない二つの物語が、
ある一点で接し、
やがては、さらに複雑に絡み合っていく、
それは、あらかじめ誰にでも予測できることだし、
こういう書き方自体は、
小説でも、漫画でも、
それほど目新しいものでもない。
それでも、初めて、二人のあいだの接点が出現したとき、
少しずつ、本人たちは気付かないままに、
彼と彼女の距離が近づいていくことを実感していく過程には、
細胞の全部が、ざわざわとふるえるような気持ちになった。

素直な感想を言えば、
「あたしにとって」、この本は、今までで読んだなかで、一番印象的な「恋愛小説」だ。

「愛」についての記述に最も共感を覚えた、という意味で。

甘ったるいラブソングの「運命」なんていう言葉を、
もう信じられなくなるくらいには(笑)、充分な数の恋をして、
まがいものの「運命の人」なら、一山いくら、で売れるくらい手に入れた。

「大人になってわかったけど、白馬の王子様って、おらんもんやったんやねぇ」
「さがしゃどっかにおるもんやと思うとったけど、アレはおらん。ツチノコと一緒や」

(『パーマネント野ばら』西原理恵子)


「運命の人」「100%の女の子」ツチノコの一種かもしれない(笑)

でも、青豆さんと天吾くんの世界にいるあいだ、
それを信じたい気持ちになった。

たった一人の人だけを愛し続けること。
20年ものあいだ、互いにそれを伝えることもないのに、
同じ気持ちを持ち続けていること。
結婚の条件とか、相手が思いを返してくれるかどうかとか、
そんな現世的なこととは何の関係もなく、
ただ、心が自然に誰かを選び取ってしまうこと。
わかちがたくその人が自分の魂と繋がっているということ。
そしてそれが許されること。
それは、あたしの思う「しあわせの概念」にかなり近い。

錯覚でもいい。
だって、
「君の愛がなければ、それはただの安物芝居に過ぎない」
(『イッツ・オンリー・ア・ペーパームーン』)

のだし、
「君が世界を信じなければ、またそこに愛がなければ、すべてはまがい物に過ぎない」
(『1Q84』BOOK2 第13章)

から。

             *         *         *

二日間で、二度読んだ。
一度目は、普通に。
二度目は、青豆さんの章だけを続けて、次に、天吾くんの章だけを続けて。

二度目に読んだときは、
「喪失」「選択」という言葉が、
頭の中で、白くチカチカと光っていた。

このお話をある種の寓話としてとらえたら、
その教訓は、なんだろう。

決して帰りの列車の停まることのない猫の町。
この世ではない、失われるべき場所。
月のふたつある世界。
呼び名はどうであれ、
取り返しのつかないところまで、
運ばれてしまうその前に・・・。
選ぶこと?
大切なものを、きちんと。
できればタイミングを間違えないように。


             *         *         *

発売日に、購入して、
読み終わるまでのあいだに、
何度、この本のニュースを目にしたことだろう。
文芸や、出版業界のニュースではなく、
一般ニュースで、これほど、「村上春樹」という名前を、
聞くことになるとは思わなかったなあ・・・。

初めて、読んだ18歳の頃、
『ノルウェイの森』が出る少し前の春樹さんは、
もう充分に人気のある作家だったけれど、
それは、文学好きの一部の人だけに共有される暗黙の了解みたいなもので、

「村上春樹が好きなんだ」
「俺も」


という会話だけで、下手したら、恋が始まってしまうくらい(笑)、
まだ、その名は、ささやかで親密な空気の中にとどまっていた。

いつのまにか、彼の本が、ベストセラーになり、
こんなに多くの人に読まれるようになった理由は、なんだろう、
って考えてみた。

彼の本(特に長編小説)が、

「多義的な読み方、を許す、小説」

であること、
が最大の理由じゃないかと、あたしは思う。

先に書いたように、恋愛小説ともとれるし、
教訓を含んだ童話、寓話のようでもあるし、
作中の、ある仕掛けを取り上げればSFと呼んでもいいし、
現実世界では、あたしたちの知らない架空の存在、
(妖精、幽霊、神様、悪魔、精霊と同じように、
もしかしたら、いるかもしれないし、いないかもしれないもの)
を扱っている点では、ファンタジーだ。
タイトルと、その内容から、ジョージ・オーウェル「1984年」を意識した
ディストピア小説、という解釈だってできるし、
ハードボイルド小説めいた雰囲気を持ち、
大きな謎を含んだミステリーでもあり、
「とてもとても怖い物語」という意味では、ホラーと呼んだってかまわない。
80年代という近い過去の日本を舞台にした架空の歴史小説
カルト教団を諷刺する社会派小説・・・
要するに、なんだっていいのだ。

それは読者の判断に委ねられているのだと思うから。

読者には、誤読の自由がある。

というより、春樹さんの小説には、
初めから、「こういうふうに読んで欲しい」とか「こう読むべきだ」
というような押し付けがましさがない。
それは、ただ、作品として、提示されるだけだ。
書く側のメッセージ、伝えたいこと、
というのはもちろんあるのかもしれないけど。

村上春樹の研究本、ガイドブック、作家論、作品論の類が、
現代の他の作家さんに比べて、格段に多いのは、
彼が「ベストセラー作家」「人気作家」だからではなく、
その、読み手の自由度の高さ、が、
様々な思索を喚起し、
どのように読み解くべきなのか、を語りたくなり、
また、自分以外の読み手がそれをどう読んだか
を知りたくなる、からではないか。

引用される、たくさんの本、映画、音楽。
そして、さらに多くの比喩(メタファー)。

あまりにもピースが多すぎて、
完成したときの全体像が想像できないパズル。
人によっては、本来入らないはずのところに、
別のピースがどういうわけか上手く嵌ってしまい、
他の人とは出来上がりが違ったりするパズル。
そして、たとえ、途中でいらいらしたり、わからなくなったりしても、
そのパズルを作ること自体は、誰にとっても、楽しいのだ。

あたしは、春樹さんの小説をそういうものだと思っている。

「1Q84」でも、
他のいくつかの春樹さんの小説と同様に、
過去の他の作家さんの作品からの引用が、
物語に、深みと、様々な想像の余地を与えてくれる。

今回の作品に出てくるのは、
チェーホフの『サハリン島』
『平家物語』
どうやら、架空の作中作であるらしい『猫の町』
(あまり有名でないドイツの作家が書いたもので、
旅についてのアンソロジーの中の一編ということになっている。
該当する作品が見つからなかったから、多分そうだと思う)
そして、
ジョージ・オーウェルの『1984年』

「2足す2は5である」世界は、
特に、イメージの素として、物語に深い影響を与えている気がした。

でも、何よりも
(いま、この文章を書きながら、再々読に入っているのだけど)
「1Q84」のテーマは、
結構ストレートに、
エルサレム賞(イスラエルの文学賞)授賞式の講演で、
春樹さんが語ったこと、そのままでいいんじゃないかと思う。

「私たちはみんな、多かれ少なかれ、卵なのです。
それぞれに、はかなくもろい殻の中に入った、かけがえのない、取り替えの利かない魂です。
これは私にとっての真実であり、みなさん一人ひとりにとってもそうです。
そして、私たちはすべて、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。
その壁には「システム」という名前がついています。
本来は私たちを守るはずの「システム」は、時に独走し、
私たちを殺し、さらに他者を殺すようにしむけ始めます。
冷酷に、効果的に、組織的に。

ひとつひとつの魂の尊厳を導き出し、光を当てること、
それが、私が小説を書くただひとつの理由です。
物語の目指すものは、
「システム」の網の目に私たちの心が絡め取られ、汚され傷つけられることを防ぐために、
常に「システム」に対する警鐘を鳴らし、それを白日の下に明らかにし続けることです。
生と死にまつわる話、愛の物語、
ときに、人々を泣かせ、恐怖に震えさせ、腹の底から大笑いさせる物語を紡ぐことによって
かけがえのない、一人ひとりの心の在り様をくっきりと描き出そうと試み続けることが、
小説家の仕事であると、私は確信しています。」

(2009年2月15日 「エルサレム賞」受賞式でのスピーチの一部。
しっかりと受け止めるために、稚拙だけど、ここだけ自分で訳してみた)


避けがたく、逃れようもなく、いつのまにか組み込まれてしまった「システム」の中で、
ちっぽけにみえる人間が、自分を、そして愛する人を守るために何ができるか。

多分、そういうこと。

まあ、なにはともあれ、
この本を読んで、あたしはよかった。
そして、これからも何度も読むだろう。
上下巻ではなく、Book1/Book2という形式であり、
巻末に作品自体の「完」や「了」という記述がないことから、
どうしても続編があるのでは?
というより、
あればいいな、と思ってしまうんだけど(笑)

1Q84

「1Q84」(Book1/Book2)村上春樹(新潮社)

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店主の好きな作家・村上春樹



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今日のも、ブックレビューというより、
覚え書きです。

あたしの蔵書だけど、
先日、店に出して、
未練たらたらに、ちょっと高額だったにもかかわらず(笑)、
ありがたくもご注文をいただきました。
だから、あたしの本であるのは、今日で終わり。

あとで、思い出せるように、
どんな本だったか、少し書き留めておこうかと思って。

1981年7月20日
講談社から刊行された、
村上龍と村上春樹の対談集

まずは、若き日のお二人の写真。

うわー。うわー。ほんとに若いなあ・・・

と、ちょっと、笑ってしまう。
・・・いや、待てよ。

30年近い月日が経ってるということは、

これを書いているあたしにも、
同じだけの時間が流れたってことで・・・

いま、かなり微妙な気分になった(笑)

記憶を取り出しやすいように、
とりあえず、目次、書いとこ。


都会と田舎
なぜ小説を書くのか
新人賞の周辺
一つの言葉から
記号と会話
うちのかみさん
わが愛するネコたち
チャーリー・パーカーを聴いたか
小説家という職業
三作目で飛べ


コインロッカー・ショック
「グッド・ライティング」と「トゥルー・アート」
飢えと文学
『ブルー』から『コインロッカーまで』
冷酷と傲慢
『風の歌』と『ピンボール』の世界
小説のブラックホール
ただ作品があるだけだ
セックスと死
「切符自動販売機」型モラル
知性と感性
作品、表と裏
一人と二人の日常
がまん、がまん、そして感動
日本の小説、外国の小説
僕にとっての名文とは
パワーの拒否
What happened is all good
六十年、七十年代に何があったのか


村上龍のこと(村上春樹)
村上春樹のこと(村上龍)


Ⅰは、1980年7月29日に、
Ⅱは、1980年11月19日に、
行われた対談。
Ⅲは、あとがきにかえて、
二人がお互いについて書いた短い文章。

何もかもが懐かしい(笑)

1980年。
春樹さんは、
『風の歌を訊け』『1973年のピンボール』で
高い評価を受けたあと、
後に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の原型となった、
『街と、その不確かな壁』という中編を書き、
(二つの対談の狭間に『文學界』に発表された)
「僕と鼠」の物語の三作目(『羊をめぐる冒険』)の構想を練りながら、
ご自分の店である千駄ヶ谷のジャズ喫茶「ピーター・キャット」で働き、
奥さんと2匹のシャム猫と暮らしていた、
というのがわかった(笑)

ちなみに、当時、あたしはまだ小学生。
『1973年のピンボール』に出会い、
この『ウォーク・ドント・ラン』を含め、
村上春樹の既刊を買い漁り読みふけることになるのは、6年後。

この頃(1980年代)は、
春樹さんと龍さんが、並べて語られることが多かったなあ。

若い頃の3歳差というのは実は結構大きいのだが(笑)
大雑把なくくりでいえば、
年齢が近いこと(村上春樹1949年生まれ、村上龍1952年生まれ)
近い時期に、「群像新人文学賞」でデビューしたこと、
(村上春樹1979年受賞、村上龍1976年受賞)
それぞれ3作目である長編小説で「野間文芸新人賞」を受賞していること、
(第3回:村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』
 第4回:村上春樹『羊をめぐる冒険』)
文体、作風はずいぶん違うけど、
新しい時代の小説の担い手として、期待されていたことで、
二人を一緒に紹介したり、対比するような記事が書かれたりもしていた。

この対談集では、
ライバルというほどの敵対関係ではなく、
友人というには、あまりに互いの違いを認識しすぎている二人の、
微妙な距離感が、ふわふわと漂っていて、ある意味で楽しい(笑)

龍さんは、「小説は自己解放だ」と言い、
春樹さんは、「小説は自己変革だ」と言った。


当時、その目指すものの違いによって、
前者は、ひとつのムーブメントを起こすだけの瞬発力と破壊力
後者は、長く読み継がれるものを書き続ける持続性
をそれぞれ持っているのではないか、とあたしは思った。
これについては、あながち、間違った印象でもなかったかも。

対談集というのは、確かに面白いな。
小説では、見えてこない作家の素顔を垣間見ることができるし、
故・吉行淳之介さんのように、
人の話を引き出すのが、それはもう天才的に上手い人がいたり、
作品を読むだけでは、すべては理解することが難しかった、
テーマやその意図するところについて、
著者自ら語ったものを読むことによって、補足的な知識を得ることが、
より深く作品世界に入り込む、助けとなることもある。

でも、この対談集を読んで、

「やっぱり、作家は文章を書くのが仕事なんだ」

というのをあらためて、認識した。
だって、多岐にわたる主題で語られ、創作の過程や、興味の対象について、
あふれるように語られた対談の内容が、充分に面白いものであったにかかわらず、
一番、印象に残ったのは、
たった2ページずつの、二人の書いた文章だったんだもの(笑)

対話をしている村上春樹と村上龍は、
人間としての村上春樹と村上龍であって、
作家・村上春樹と作家・村上龍は、
その人間としての彼らに包括されるものではあっても、
全く、別のフェイズで、
書くことによって、あたしと、そして世界と繋がっている存在なんだ。
良くも悪くも、
その人が最も上手く効率的に説得力と共感を持って、世界とアクセスする方法が、
「書くこと」である人種を「作家」と呼ぶんだ。
・・・という気がした。

いまとなっては、村上春樹ファン、コレクターの最大の関所というほど、
入手しにくくなり、
どれほど復刊リクエストがあろうとも、
再版話が、ちらりとも出ない、「ウォーク・ドント・ラン」

店の商品情報のレヴューのほうには、
この本が頑なに再版されないのは、
若気の至り?な気負った発言や、
今とは考え方が変わってしまった部分を含め、
春樹さんにとっても、龍さんにとっても、
あれやこれや気恥ずかしいので、
(あたしたち一般ピープルで言えば、
「幼い日の、鼻にビー玉を詰めたおポンチな写真」や、
「ロマンティックな詩集から拝借した言葉でコラージュした
背筋がムズムズする中学生時代のラブレター」

のように。笑)
厳重に封印されたのでは?
という世間でも言われている推測を書いたのだけど、
もしかしたら、
春樹さんについて言えば、
専門的な知識を持つ方に話を訊くとか(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』
たぶん、どうしても、ああいうかたちで消化する作業が必要だったと思われる
『アンダーグラウンド』『約束された場所で』のようなノンフィクション以外は、
あらゆるものを

「小説という作品の中で伝えること」

が自分にとって最上の手段である、という認識に至ったのではないか、
というような気がした。
どうだろう?

タイトルの『ウォーク・ドント・ラン』は、
村上龍の巻末の一文から、取られている。

―村上春樹のことを考える時、ある情景が浮かんでくる。
知り合ったばかりの音楽好きの少年が二人、部屋でレコードを聞いている。
プレイヤーから流れているのは、ヴェンチャーズの「ウォーク・ドント・ラン」だ。
(略)二人は何回も、何十回もレコードを回す。
そして、窓の外が暗くなった頃、一人が「いいなあ」と言って、もう一人がうなづいただけで、
二人の少年はお互いの部屋へと帰っていく。(略)
僕らが演奏家だったら、あのいかした曲を、ギターとベースで一緒にやれるのになあ、そう考える。
小説家は、同じ曲を演奏することができない。

(「村上春樹のこと」~『ウォーク・ドント・ラン』より)

ウォーク・ドント・ラン

「ウォーク・ドント・ラン」村上龍・村上春樹(講談社)

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「ウォーク・ドント・ラン」村上龍・村上春樹



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ギリシャ、トルコでの旅を、
村上春樹さんの文章と、松村映三さんの写真で綴った旅行記。

下の画像は、1990年発行の初版本。
現在入手可能な、2008年版の単行本は、
この本に、未発表写真を加えて再編集した新装版。
最初の本は、
GREECEギリシャ編「アトス―神様のリアル・ワールド」
TURKEYトルコ編「チャイと兵隊と羊―21日間トルコ一周」

からなる函入2冊セットだった。
装丁が美しくて好きな本。

あたしの蔵書だけど、
お客様にお譲りすることにしたので、
手離す前に、少し何か書いておこうかと思って。

エーゲ海から峻険な2000メートルのアトス山が切り立つ半島を、
修道院に泊まりながらひたすら歩くギリシャ編。
アトスは、東ローマ皇帝、トルコ人、ギリシャ政府・・・とどのような政治体制下にあっても、
微塵もゆらぐことのない宗教的共同体として、
完全な自治を認められているギリシャ正教の聖地。
女と名のつくものはたとえ犬といえど一歩も入れない聖域で、
二十の修道院に約二千人の僧が、
厳しい戒律と厚き信仰の下に、
ビザンティン時代とほとんど変わらない質素な自給自足の生活をしながら、
神に近づくために日々祈りを捧げている。

『僕は本でアトスのことを読んで以来、どうしてもこの土地を一度訪れてみたかった。
そこにどんな人がいて、どんな生活をしているのか、この目で実際に見てみたかったのだ。』

(GREECEギリシャ編「アトス―神様のリアル・ワールド」より)

そんな理由で始まったギリシャへの旅。
そして、そのまま国境を越えて、トルコへ。
この旅の7年ほど前、たった一日だけ、泊まることもなく、トルコに足を踏み入れた彼は、
短い時間でありながら、
トルコという国に、そこにあった空気の質のようなものに、引きつけられ、
いつか再訪を・・・できれば、今度はゆっくりと時間をかけて、
トルコを旅行して回ってみたいと思っていたという。

神々の山の静謐で荘厳な空気、
エーゲ海のくっきりした光と影、
兵隊だらけの孤独な国、
埃っぽい道、
アジアの端っこの乾いた熱風、
羊の海、
そして、行く先々で出会う人々。

光や空気や熱や匂いさえ、立ち上ってくるような、旅の記録は、
春樹さんの文章を愛する人だけでなく、
旅を・・・そして、かの国を愛する人々に、
強い共感と、
デジャヴュのような懐かしさと、
ここではないどこかへ、今すぐ出かけたくなるような、
なんだか落ち着かない気持ちさえ抱かせるような、
すぐれた紀行文。

でも。
あたしが、この本についてのレヴュー(つーか感想文)に名前をつけるとしたら、
どうしても、

「猫をめぐる冒険」

というタイトルしか思いつかない(笑)

何度か読み返した本なのに、
ギリシャ編、トルコ編ともに、
あたしの記憶に印象的に残っているのは、
どちらも猫にまつわる文章だからだ。

トルコ編では、『ヴァン猫』の章。
「トルコに来たら、何をしよう、何をしたいという希望は殆どなかった」
という春樹さんが、
唯一、かなえたいと思っていた、ささやかな希望というのが、
「もしできることならヴァン猫に会って、ヴァン湖で泳ぎたい」
というものだったらしい。
ヴァン湖は、アララット山の南方、イランの国境近くにある塩分濃度の濃い大きな湖で、
ヴァン猫は、この湖のそばに住む特殊な猫。
オッドアイ(左右の目の色が違う)の白猫さんなのだが、
泳ぎが大好き、という相当変わった猫なのだ。
「ヴァン湖でヴァン猫と一緒に泳ぐ」
これは確かに、かなり貴重な体験で、
猫好きにとっては、かなえてみたい夢のひとつだろう。
(あたしも、この本を読んで以来、いつか・・・と夢みたりしている)
結果として、猫と一緒に泳ぐことはできなかったけど、
ヴァン湖で泳ぐ、
と、
ヴァン猫に会う、
という彼の目的は果たされた。(ただし別々に。笑)
絨毯屋で「招き猫」としての任務を遂行している(?)ヴァン猫さんの話は、
是非、「トルコ編」で、読んでみて。

そして、ギリシャ編の『カフソカリヴィア』
アトスでの旅の終りに、カフソカリヴィアの宿坊で、
春樹さんと松村君は、史上最悪とも言える夕食をとることに。
石みたいに固くて一面に青黴が生えたパンを水でふやけさせたもの。
冷えた豆のスープに、どくどくと酢を注いだもの。
高血圧の人が食べたら、ばたばた死ぬだろうと思われる、
しょっぱい壁土みたいなフェタ・チーズ。

そのとき、修道院に、いついているらしい猫が現れ、
給仕の僧にエサをねだって、与えられた
「豆スープにつっこんだ黴パン」
を美味しそうに食べる。

このときの春樹さんの文章が、なんとも言えないくらい、印象的だ。

『本当に世界は広いと思う。
たぶんカフソカリヴィアに生まれて育った猫にとっては、
食料とは実に黴パンと酢入りの豆スープなのだろう。猫は知らないのだ。
山をいくつか越えると、そこにはキャット・フードなるものが存在し、
それはカツオ味とビーフ味とチキン味に分かれ、
グルメ・スペシアル缶なんてものまであるのだということを。
猫たちのあるものは運動不足・栄養過多で早死しているのだということを。
そして黴パンなんてものは断じて猫の食べるべきものではないのだということを。
そんなことはカフソカリヴィアの猫には想像もできないのだ。
きっと猫は、「おいしいなあ、今日も黴パンが食べられて幸せだなあ。生きててよかったなあ」
と思いながら、黴パンを食べているのだ。』

(GREECEギリシャ編「アトス―神様のリアル・ワールド」より)

アトスでの旅を終えて、
タベルナで、冷えたビールを飲み、
フィッシュ・スープとフライド・ポテトとムサカとサーディンとカラマリとサラダという現世的な食事を、
ビーチボーイズの音楽と共に楽しんだ彼は、
心底、黴パンとの別れを喜んだだろう。
それが良くも悪くも、彼(=あたしたち)にとってのリアル・ワールドだからだ。

それでも、旅についての文章を書きながら、春樹さんは、アトスを恋しく感じる。
人々が貧しいなりに、静かで濃密な確信を持って生きる地アトス。
「カフソカリヴィアの猫にとって、
黴つきパンは世界でもっともリアルなもののひとつだったのだ。」

と書かれているように、
黴パン猫は、異国の、異文化の、多様な価値観の象徴なのだろうか。

「さて、本当はどっちがリアル・ワールドなんだろう?」

という言葉で締めくくられるギリシャ旅行記は、
「旅をする」ということは、
二つのリアル・ワールドの狭間に身を置き、
自分の立っている場所を、確かめるための作業なのかもしれない、
ということを教えてくれる。

utenenten
「雨天炎天」村上春樹(新潮社)

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「雨天炎天」村上春樹

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もう、めちゃくちゃ久しぶりの更新です(汗)

放置にも程があるっ! ←だから、あんたが放っておいたんだってばよ(泣)

これでは、プレイどころか、
現実だったら、

相手、餓死だよー。

お釈迦だよー。

殺人罪だよー。



えーと、あたしは古本屋店主なので、
店に出す商品としての本には、商品の詳細ページに、
こってり、レヴューを書くし、
ブログの方に、
図書館で借りた本は、「図書カード6年1組ぺんぺん」
自腹で買ったコミックス、文庫などは、「ぺんぺんのお小遣い帳」
というカテゴリがあるので、
そっちに書くだけで、いっぱいいっぱいになってしまい、
上記の範疇に入らないもの、
長すぎてどうよ?というものなどを、ここで紹介するはずが、
なかなか、手が回らない状態になってしまいました(涙)

でも、それだけ文章書いても、
(今日はたくさん店に出品したから、下書きも含め、
原稿用紙換算で、20枚分は書いたと思う・・・)
たまに、

思う存分、1冊の本について語りたい

衝動に駆られることがあるから(笑)
頻度は低くても、
この書評ブログも、細々とでも、続けていきたいな、って思います。

で、久々に、あれこれ書きたくて、
簡単な商品紹介ではおさまらなくなってしまったのが、
この、恩田陸『上と外』

今までも、店に商品として出したこともあって、
再々読くらいなんだけど、何回読んでも、おもしろい。

ざっと、あらすじを紹介すると。

両親の離婚で、別れて暮らす元家族が年に一度、集う夏休み。
中学生の楢崎練は小学生の妹・千華子、母・千鶴子とともに、
考古学者の父・賢がいる中央アメリカのG国までやってきた。
ジャングルと遺跡と軍事政権の国。
そこで四人を待っていたのは「軍事クーデター」。
離れ離れになる親子、二度と会えないかもしれない兄と妹。
密林の中の謎の遺跡と神秘の儀式。
絶え間なく二人を襲う絶体絶命のピンチ。


って感じかな。

幻冬舎文庫書き下ろし、隔月刊行で全6巻。
(当初は全5巻の予定)

って聴くと、何かに似てない?
そう。
スティーブン・キング『グリーン・マイル』ですねー。
毎月1冊ずつ全6巻の分冊で刊行され、
この形式が、読者の飢餓感、わくわく感を誘ったのか、
全米を熱狂させる大ベストセラーに。

「日本でも誰か『グリーン・マイル』みたいなのやればいいのにね。
S先生とか、H先生とか、きっと面白いの書いてくれると思うし、
読みたいんだけどナ」

と、もらしたら、
ご自分が書くことになってしまった、恩田陸さん(笑)
隔月連続刊行は本当に大変だったろう、と思うけど、
他の誰でもなく、恩田さんの書いたものは、間違いなく面白いです(笑)
「ありがとう」と言いたいくらい。

店主は、完結してから、6巻まとめて読んだのですが、
リアルタイムで、読んでた読者、ファンは、さぞヤキモキしたことでしょう(汗)
続きが気になって、不眠になったり、暴動を起こしそうになった人もいそうだな(笑)

1冊1冊は薄い本だけど、
6巻分だと、実は結構な分量だよねえ?
でも、ローラーコースターのように、
恐怖と興奮とある種の快感で一気に結末まで運ばれてしまう。

冒険小説の王道的筋書きだけど、、
少年少女のビルドゥングスロマン(成長物語)として、
家族の絆の物語として、
文明や社会への批判を諷刺を含んだ小説として、
多重的な面白さを持っている。

恩田陸といえば、初期の頃は、個性的といえば個性的・・・、
ややエキセントリックなキャラクターが多かった印象があって、
あたしは好きだけど、万人受けはしないのでは、という気がしてた。
でも、この作品は、老若男女すべてにおすすめできる普遍的な魅力がある。

家族4人以外の、祖父母、叔父、従兄弟といった脇役の個性もしっかり作りこまれ、
(あたしは、職人肌の人が大好きなので、
練のおじいちゃんの大ファンに。
クールな少年ニコも人気が高そうだね。笑)
それが物語を生き生きと動かすエピソードとして、
巧妙なカラクリ仕掛けのように、綺麗な歯車として働いている。
「小説を読む」というより、まるで素晴らしい精密機械の動きに見とれてしまうように、
精緻な時を刻む物語を「美しい」とさえ感じるのだ。

しかも、読後の爽快感は極上

この部分も、それまでの恩田陸作品とは違う印象だった。
わりと曖昧に、謎と、読者の想像の余地を残したミステリアスな結末が、
この人の持ち味かと思っていたんだ。
『上と外』の結末は、
あたしの好きな映画『スティング』『バーディー』のエンディングに
匹敵するくらいの、

「やられた!」感がありました(笑)

書き下ろし隔月刊での文庫発売という初の試みの中で、
(予定よりのびちゃったけど。笑)
ライブ感、スピード感を失うことなく、
これだけの完成度の高いものを書けたことに、素直に驚嘆してしまう。

最初に出たのが、この幻冬舎文庫(全6巻)で、
のちに1冊にまとめて単行本化。
文庫が一部品切れになった頃に、上下2分冊の新装版が刊行。

今、手に入りやすいのは、上下巻だけど、
この全6巻ヴァージョンに、あたしは愛着があったりします。
装丁も好きだし、
通勤やお出かけの電車の中で、読むのにちょうどいい分量で、
(あたしは、結局、一日で全部読んじゃったけど。笑)
それほど、読書に時間を取れない人なら、
一日一冊くらいのペースで読むと、
作中の時間経過とも、ほぼ同じ感じになるので、
すごく楽しいと思うんだ。


uetosoto
「上と外(全6巻)」恩田陸

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「上と外(全6巻)」恩田陸

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初めて入った理容店。
女主人のおしゃべりと心地好いマッサージににウトウトしているうちに、
髪形はすごいことに・・・

金髪!
しましま頭!
丸坊主!


おーまいがあー!!Σ( ̄ロ ̄lll)

本人も周囲も戸惑うなか、そのせいで、いつしか性格まで変わっていき、
とんでもない出来事が…。
髪形の変化が巻き起こす、愉快、痛快、爽快な「事件」を描く連作短編集。

収録されている6編の主人公は、
本当に、どこにでもいそうな人たちだ。

気弱で上司にも後輩にも思ったことが言えず、
いつも人の顔色を伺って、遠慮ばかりしている庶務係の女性。

記憶喪失の男(実は・・・)。

定年退職して何もすることがないおじいさん。

「すみません」が口癖の頼りないサラリーマン。

就職浪人したが行きたい会社がみつからない女の子。

空き巣に入られた上にリストラされそうな、とほほなOL。

会社や家庭で言いたいことも言えず、
不満をためていた人たちが、
髪形が変わるだけで
面白いように性格まで変わってしまう。
言えなかったことを口に出し
できなかったことをやってみようと思う。
ささやかな変化だが
その人の人生にとっては大きな転換点となる出来事。
そんな「事件」を
あたたかい視点で描いた作品集だ。

髪型を変えるだけで、
人生そのものが変わることは現実にはありえないかもしれないが
リアリティのあるエピソードの積み重ねと
本当に身近にいそうな、そしてある意味自分を見ているような
人物造形と心理描写で
このファンタジーめいた物語を
明日、起こっても不思議じゃないこと」のように
現実感を持って読ませる作者の力量は
半端ではない。

あたしは、すでに
「髪型を変えるだけで人生は変わらないが
何かのきっかけには十分なりうる。」

と信じて始めている。(笑)

理不尽な世の中で
多くの我慢を強いられている人間には
普段、あまり意識はしないけど
「こういうふうにできたらいいなあ」
と思ってることがきっとある。
今日はなんとか持ちそうだからと
ラップをかけて心の冷蔵庫にしまっておく不満。
本当はやりたいのに、
仕事、家事、育児で、後回しにしてしまう願い。

人に嫌われたくなくて
波風を立てたくなくて
職や地位を失いたくなくて
目立ちたくなくて
怖くて
怠惰で
もしくは、自分の願いにさえ気づかないほど疲れていて

いろんな理由で、封じ込まれた願望。

この物語の主人公たちは
「きちんと自己主張する(嫌なことは嫌だと言う)」
「理不尽な目にあったら反撃する」
「犯罪から積極的に自分を守る」
「自分に自信をもつ」
「不正に目をつぶらない」
「自分が本当にやりたいことをみつける」

という自分の願いに
髪型が変わるという、ささやかなきっかけで向き合うことができたのだ。

思っていたことを実行に移し
言いたいことを言い放つ彼らの姿は、
水戸黄門の印籠」的に、

すこーーーーんと突き抜けたカタルシスを与えてくれる。

いや、ご老公がなんだかんだいっても
個人の力量ではなく
「権力」を支えにしていることを考えると
むしろ「ロッキー」的と言ったほうがいいのか(笑)

「エイドリアーーーーーンっ!!」

みんなの心の奥底の願望を
見抜いたかのように
その人に合った髪型を
勝手に、ざくざく作ってしまう(笑)魔法使いのような女理容師が
結局、どういう人なのか謎のままなのも
なんとなく、あたしは好きだぞ(笑)

さて。
ただひとつ、悩んだのがタイトル。
「わらの人」
「わらの人」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんで「わらの人っ」???

溺れる者はわらをも掴む」?
謎の女理容師さんが
彼らにとって、そういう存在だったってこと?
うーん。
でも、微妙に違うような・・・
知らずに掴んじゃったわけだしな(爆)

と書いたところで
なんか・・・
わかったような・・・

もしかして
サム・ペキンパー監督
ダスティン・ホフマン主演

あれかもっ???

「わらの犬」!!

物騒な都会生活から逃れるため、
妻と共に田舎に引っ越した数学者が
村の若者たちから理不尽とも言える卑劣な嫌がらせを受け
何をされても無抵抗だった平和主義者の彼が
ある日、あまりの仕打ちにぷっつりキレて
大爆発という・・・

確かに、第一話「眉の巻」の沙紀ちゃんの
反撃に通じる空気があるような気がする。
(あ、あの映画と違って
あくまでも後味はいいからね。笑)

もともと「わらの犬」は
老子の言葉から来ていて
「とるにたらないもの」というような意味もあり
この「わらの犬」ならぬ「わらの人」には

「日常ウォーズ~普通の人々の逆襲的な

意味がこめられてるのかもしれない。

waranohito.jpg

「わらの人」山本甲士(文藝春秋)

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‥‥偶然出会った本にいざなわれ、
不思議な縁や出来事に遭遇する人々の
せつなくてやさしい9つの物語。

「WEBダ・ヴィンチ」で連載されていた
本にまつわる物語」9編を収録した単行本で
著者・角田光代さん自身の本とのかかわり、本の思い出を
描いたエッセイというか、長めのあとがき「交際履歴」もいい。

ネパール、そしてアイルランド・・・
学生時代に手放した本と、異国の古本屋でめぐりあう「旅する本

旅先で寝込んでしまったとき
バンガローの食堂で日本語の本を見つけ
それを置いていった人について思いをめぐらせる「だれか

作家としてデビューすることになった<ぼく>が
子どもの頃、<世界への扉>だった街の小さな本屋を
再び訪れる「ミツザワ書店

病気で余命いくばくもないおばあちゃんのために
孫である少女が本屋をめぐる「さがしもの

別れることになった恋人の部屋で
本棚を整理しながら
本の隙間からこぼれおちるような二人の思い出をふりかえる
彼と私の本棚

など

舞台も登場人物もまったくリンクしていない
「本」にまつわる内容だけが共通している短編集。
こうして、あらすじだけ
書いてみたら、なんてことのない平凡な物語のように思えるが
読後にあふれかえる思いの量は
普通の本の比ではない。
作中の人物たちに
「本」にまつわる、さまざまな思い出があるように
この本を手にした私たちにも
同じように
たくさんの「本」との思い出があるからだ。
「ああ、こんなこと、ある」と
物語の主人公に共感しながら
あの日、あのときの、自分と「本」との出会い
誰もが思い出さずにはいられない。

いま、ここにある「本」と
自分の心の中にある「本」を
同時に読んでいるような
そんな気持ちになる。

「本への愛情」を込めて綴られた物語は、
どれも「本が好き」な人は、
たまらなく共感してしまう内容で
また、作中の「本」に関する言及は、
何度もかみしめて、心の中で反芻してしまうような
名言とも言える言葉が
何気なく、きらきらと光を放っている。

「だってあんた、開くだけで

どこへでも連れてってくれるものなんか、

本しかないだろう」


「1回本の世界にひっぱりこまれる
 興奮を感じてしまった人間は、
 一生本を読み続けていると思う。」


「そう、本は人を呼ぶのだ。」

この三つは特に
表現は違うけれど
ぺん自身が、何度も自分の日記や、本のレビューに
書いたことのあることで・・・
きっと、本を愛する人なら
これらの言葉を自分のこととして
大きく頷きながら、読むのだろう。
ある種の読書家の共通認識のようなものかも?
と思うと、それもまた楽しい。

そして
この「本」自体から
関わった、たくさんの人の愛情が感じられることが
何よりも素晴らしいと、あたしは思った。

カバーそして、各話のあいだに挟まれた写真は
空に飛んでいる本」で
<この本が、必要とされている人のところへ飛んでいくように>
という願いがこもっているようだし
また、すべての短編の文字組みを変えてあることにも
それぞれの話が、それぞれの人にとって
かけがえのない1冊」を
表現しているようで素敵だ。

本を愛している作家が綴った、
本を愛している人たちの物語の愛おしさに
共感した人々が
これまた、できるだけ多くの
本を愛する人たちに届くようにと
心をこめて作った本は
たくさんのやさしさを身にまとって
世界に広がっていく。

世界の片隅で
同じように「」を愛して
」を届ける仕事をしている、ぺんも
ちょっとだけ、お手伝いをしたい気持ちになったので
書いてみた。

「この本が、世界に存在することに」感謝したくなるような
そんな一冊に
あたしが、そしてあなたが出会えますように。

konohon.jpg

「この本が、世界に存在することに」角田 光代
(メディア・ファクトリー)

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いまどきの高校生・小梅と、冴えないサラリーマンのパパ。
16歳と47歳。
ある日突然、二人の人格が入れ替わってしまったら?
ドキドキの青春あり、ハラハラの会社員人生あり。
心あたたまる家族愛を描いた
笑いと涙のノンストップ・エンターテインメント ?

五十嵐貴久は前から読んでる作家さん。
まだそこまでメジャーではないと思ってたんだけど・・・
なぜか、読み終わった日(7月1日)に
TBSの日曜劇場ドラマの放送が始まって、びっくり。
(主演:舘ひろし、新垣結衣
不思議なシンクロニシティを感じたので
取り上げることにした(笑)

五十嵐貴久の小説は
サスペンス、青春小説、時代小説と多彩。
特徴的なのは、元ネタをすごく上手に料理する手腕かな?
安政五年の大脱走』はあの名作映画『大脱走』を
井伊直弼に懸想され幽閉された姫と家臣たちの脱獄劇に仕立てた作品だし
Fake』は『スティング』のコンゲームの楽しさいっぱいで
ハイジャックされたテレビ局で
婚約者を助けるためにヒロインが大活躍する『TVJ』は
思いっきり『ダイ・ハード』なの(笑)

で、この「パパとムスメの7日間」は
なんだろう・・・?
って考えたら
多分、『転校生』・・・・かなあ?
山中恒の「おれがあいつで あいつがおれで」を原作に
大林宣彦監督、小林聡美・尾美としのり主演で
尾道三部作」のひとつとして知られる作品。
尾道から転校してきた一夫と、老舗そば屋の娘・一美は、
ある事件をきっかけに身体が入れ替わってしまう。
男女の身体の違いを痛感し戸惑うふたりだけど、そんな状況にあってこそ気づく、
自分のことや家族のこと、そして互いへの想い。
そんな状況がおかしくも、最後に切なく泣いてしまう青春ファンタジー。
ぺんももちろん見たよう♪
最近、現代のテイストを取り入れて
大林監督のセルフリメイク作品「転校生―さよならあなた―」として制作され
現在公開中。

でも、実はこの入れ替わりネタは
日本では古来からある。
なんと古くは平安朝だぞっ!
まずは「とりかえばや物語
高貴な貴族の家に生まれた男女の双子。
男の子はひ弱で女々しく、女の子は凛々しくやんちゃ。
なんだか性別を取り違えて生まれてしまったみたいな二人。
男装の女児である「若君」は男性として宮廷に出仕するや、
あふれる才気を発揮し、若くして出世街道を突き進み
女装の男児である「姫君」も女性として後宮に出仕を始める。
でも、それぞれ成長しながらも、初めての恋ゆえに
自らの天性に苦悩し始めた二人は今度は元の姿に戻るために四苦八苦。
本来の性に戻った2人は、それぞれ自らの未来を切り開き、
関白・中宮という人臣の最高位に至る。
これを少女小説にアレンジしたのが氷室冴子の小説『ざ・ちぇんじ!』で
山内直美によって漫画化もされてる。
まあ、この二人の場合は単に、男装女装で
心が入れ替わったわけではないけど。
この発想がこんな昔からあることは興味深い。

最近の作品では
唯川恵の「今夜は心だけ抱いて」
五十嵐作品と同じ着想だ。
幼いころ、離れ離れになった母娘がある事故がもとで体が入れ替わる。
そして知る、互いの立場の長所、短所。
それぞれの運命を受け入れ、
憎しみあっていた二人の関係が改善されるさまを
恋愛主体に描いたもの。

他にも
かのベストセラー東野圭吾の「秘密」
(妻・直子と小学5年生の娘・藻奈美を乗せたバスが崖から転落。
妻の葬儀の夜、意識を取り戻した娘の体に宿っていたのは、死んだはずの妻だった。
その日から杉田家の切なく奇妙な“秘密”の生活が始まる。)

別人ではないけど
ある日、目が覚めたら17歳だった少女が
時を跳び、同じ17歳の娘を持つ40代の母親である未来の自分になっていた・・・
身体という器は、おばさんなのに
心はみずみずしい高校生というギャップが切ない
時空ものの名作が北村薫の「スキップ」

他にも・・・・いろいろ。
枚挙に暇がないほど。
そんなわけで入れ替わりモノと言えば

二番煎じどころか、すでに出涸らし状態のテーマだよう???
これを、敢えて書くとは・・・・

どうするんだ???五十嵐!

と正直思いました(笑)

でも、おもしろかったんだよ!これが

大手化粧品メーカーに勤め、
新商品開発プロジェクトのリーダーとして
御前会議を控えたサラリーマンの父と、
憧れの先輩とのデートと期末テストを目前にする娘。
地震による脱線事故に遭い、人格が入れ替わってしまった二人は
それぞれ
」と「会社での微妙な立場」という
普通なら家族には見せたくない領域を
共有することになる。

タイトルの通り
7日間で元に戻るであろうことは予測できるし
ストーリーもかなり予定調和的に進んでいくのだが
エピソードの積み重ねで
ぐいぐい読ませる。

父を疎ましく思い、遠ざける年頃のムスメと、
それに寂しさを覚えつつ上手く気持ちを伝えられない父との距離感の
描写が絶妙。
それぞれに大事なイベント?を控えているため
元に戻れるまで一時的に共闘体制をとることになる父娘だけど
普通に日常生活を送るのが結構、大変。
トイレや風呂問題が意外に切実だったりして笑える。
女子高生にしたら
自分の体は

「見るな!」「さわるな!」「ぶっ殺す!」

なわけで(笑)
母親がいない隙に、
意識はパパのマイボディを(笑)目隠しして風呂で洗ってあげたりする。
父は父で、メールを打つのに一苦労したり(笑)

男女の性差へのとまどいは
前述の『転校生』でもコミカルに上手く描かれていたが
そこに47歳の中年サラリーマンと、16歳のバリバリ女子高生
というジェネレーションギャップをからめたとこが
五十嵐風味。

どっちに感情移入するのかは
読み手によるだろうけど、メインとなる
憧れの先輩との初デートの顛末
会社の大事な会議
はどちらも、楽しい。

特に、あたしは
社運を賭けた新企画?と言いながら
結局、各部署のメンツを立てただけ
旧態依然としたお偉いさん方のこれまたかわりばえのしない発言により
なーんの新味もない商品に成り下がろうとしてるパパがリーダーの企画会議で
「買うのはあたしたちなんだよ?
誰のための商品なんだよ?!」

とマジ切れちゃった小梅(ムスメ)ちゃんが
女子高校生的見地からの
マーケティングに関するストレートな意見を
大爆発させるあたりが、めちゃくちゃ楽しかった♪
「忌憚なく意見を述べてくれたまえ」
なーんて言いつつ
結論は決まってるみたいな会議に
嫌気のさしたことのあるサラリーマンなら誰でも

このシチュエーションは愉快痛快!(笑)

笑えて、ちょっと胸のあたりがほかほかするタイプの本が好きなら
おすすめできる。

papatomusume.jpg

「パパとムスメの7日間」五十嵐貴久(朝日新聞社)

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ぺんぺん

Author:ぺんぺん
古本ぺんぎん堂店主
☆成分分析:
ぺんぺんの90%は本でできています
残りは音楽と映画と酒と美味しいものでできているようです

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ぺんぺんファンのショッカーのみんな
暇だったら一日一ぽちっ(笑)
読んで少しでも参考になったという方がいらしたら、励みになりますので、これまた、愛のぽちっ、をお願いします


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